haruyama: 2020年8月アーカイブ

寛斎さん 追悼2

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 寛斎さんは、謙虚であった。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」

寛斎さん位の偉人であるにも関わらず、こちらが恐縮する位、謙虚な方であった。

服飾の道に入り、たった5年の26歳の時にロンドンのショーで大成功をおさめ、その勢いでパリコレクションを開催した。しかし、パリでのショーは、失敗に終わり、経済的にも破綻寸前まで行き、死さえ考えたという。この生涯初の挫折で学んだものも多いという。

寛斎さんのお姿を見て、傲慢さは、人を小さく見せ、謙虚さは、逆に人を大きく見せる事を学んだ。

寛斎さんの謙虚な態度に接するたびに、その大きさや温かさを感じた。

 

寛斎さんは、シャイであった。

自ら情熱を傾けている事や信念を持っている事に関しては熱く語りかたる一方で、寛斎さんはとてもシャイであつた。

シャイだから、相手の気持ちを汲み繊細な様式を編み出せた一方、シャイだからいったん内に秘めたエネルギーを爆発させると誰も真似できないような大胆なファッションを作れたのだと思う。

ガガ、デビット・ボーイを始め、世界的なトップスターとの交流、人づきあいも繊細さと大胆さがあったからこその実現だと思う。

以前、食事の際に、仲居さんが、寛斎さんと知って驚いた時。「僕のこと知っているの?」と少しはにかみながら、嬉しそうにしていた姿が思い出される。

 

寛斎さんは、お茶目である。

人間40歳を過ぎると顔に性格が出るというが、

寛斎さんが、何か驚かせてやろうとしゃべり始める時の少し照れたような、リスのような前歯を見せて、いたずらっ子のようなお茶目な笑顔は忘れられない。

「治山さん、この前面白いことが有りまして・・。」とか、「治山さん、こんな面白い事を考えてみたんですがどう思います?」とか毎年の冒険談や新しいイベントのアイデアなどを語って頂いた。そこにはいつも、温かいユーモアが溢れていた。

僕自身、寛斎さんとお会いする時は、こちらも何か寛斎さんに褒めてもらおうと少し奇抜な服を着ていくが、もちろんいつも圧倒的に(あたりまえだが)寛斎さんの勝ちで、そのファッションはいつもお茶目な遊び心満載で、おしゃれってこんなに楽しいものなんだと、改めて思いだされた。

 

今も、世界で一番幸せそうな笑顔と太陽の中心のような情熱で語っておられたお姿が目に浮かぶ、もう寛斎さんにお会い出来ないと思うと、本当に辛く残念でしょうがない。

 

もっともっと前に、もっともっと熱く、これからやりたい事も多くあったと思う。僕自身ももっともっとお会いして、たくさんたくさん学びたかった。

 

今、お会い出来たなら、きっと背中を押して頂けたと思う。

「コロナ?うつむいてる場合じゃない!何事も諦めてはいけない!

心の底から楽しいと思える事を考えろ。それが治山さんの夢だ。

夢は追い続ければ必ず手に入る。もしそれが手に入らないのなら、求めないからだ。真剣に欲しがらないからだ!熱く生きろ!」

 

私の自宅のクローゼットには、太陽の光をいっぱいにうけたエーゲ海のようなキラキラ光る真っ青のジャケットある。寛斎さんから頂いたものだ。

これを着るたびに、寛斎さんの元気と笑顔を思い出していこう。

人生で出会えた人の中で本当に出会えて良かった人の一人である。

 

寛斎さん本当にありがとうございました。

多分、天国は今まで以上に、彩り豊かで元気になると思う。

ご冥福を心からお祈りいたします。

 

合掌

寛斎さん 追悼1

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コロナ禍で日本中が暗く、重くなっている時、一番元気を与えてくれる人が亡くなった。

山本寛斎さんである。

寛斎さんとは、10年以上お付き合いをさせて頂いた。毎年、お会いして食事などもご一緒させて頂いた。ある年は12月の14日にお会いした時は、「これから一緒に行きたい所があるんです。」と泉岳寺に行き、赤穂浪士の討ち入りを再現したパレードを見たこともあった。

 

とても寒い日で、お寺の参道の屋台でおでんを肴に日本酒を楽しんだ。とても懐かしい。

年下の私が言うのもなんだが、お会いしたその瞬間から馬が合った。

本当に寛斎さんは熱い。熱苦しいほど熱い。私も周りからよく言われる。(苦笑)

その熱さが、私にはとても心地よく、お会いするたびに体内のマグマに熱を加えて頂いているような気がした。

 

寛斎さんのチャレンジ意欲は、70歳を越えられてからも、まさに20代と同様もしくは、年々増すようで、昨年は北極にも挑戦された。75歳である。その話を子供のように生き生きと語られた姿を思いだす。

 

寛斎さんは、何者だったのだろう?

寛斎さんは、常に「自分を探す旅を続けてきた!」とおっしゃられていたが、実際、寛斎さんが作る服のように、進化とトランスフォーメーションを絶えず繰り返し、いつも意外な面をみせてくれた。

誰も考えないようなトッピな事を考える一面、世の中にこんなに真面目な人がいるのかというくらい誠実な方であった。

ショーの資金を集めるために、一人一人に自筆でお手紙を書いたこともお聞きした。(すでにスーパースターになっていた後にである。)

 

寛斎さんは勉強家であった。

毎朝何十分も時間をかけて新聞を隅から隅まで読むという事もお聞きした。

世の中の出来事や流れをつねに消化し、それらについて、如何なるテレビの有識者にも負けないくらいの核心をついたご意見をお持ちだった。

 

また、とんでもなく読書家で、歴史物が大好きで、

ある時、「治山さん、これ面白いよ」と一冊の本を手渡された。

それは、日露戦争における日本海海戦にて東郷平八郎と秋山真之がどう戦局を考え、なぜ勝てたのか?というたぐいの学術書的な本だった。

興味深いけれど、内容が非常に濃くて、改めて寛斎さんは勉強家だと感心したことを思いだす。

 

寛斎さんは、人間大好きであった。

歴史が大好きだったのも、実は歴史以上に人間に興味があり、人間が大好きだったと思う。太平洋のパプアニューギニアでのファッションショーの様子をお聞きした際も感動した。何週間も現地で生活し、言葉も文化違う人々を巻き込んで、そこでしかデザインできない服を作り、彼らでしか出来ないファッションショーを成功させた。

さらに心に刺さったのは、現地の人たちが、寛斎さんに惹かれレスペクトを繰り返し言った以上に、寛斎さんから彼らに対するリスペクトの言葉があふれたことである。真の国際人とは、肩書や生活レベル、文化、習慣などに囚われず、いい物は良いと素直に認めることであると学んだ。

服もそうだが、それを着る人間が大好きだから、どんな人からも受け入れられたのだろうと思う。

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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