「生きる事」とは、「決断する事」である。
我々は「決断」を繰り返しながら生きている。そして前進している。
それは、結婚や就職といった、特段大きな「決断」だけではなく、例えば昼飯は何を食べようか、誰と食べようか?とか、今日はどのスーツを着ようか?会社に着いたらどの仕事から手を付けようか?というのも「決断」である。
同様に「経営」とは「決断」である。
これが個人の場合と比べて難しいのは、その「決断」の影響力が自分のみならず、回りに多大な影響を与えるからである。
だから経営者は悩む。
以前ブログに書いたドラマ「陸王」のこはぜ屋の社長もチャーチルも大いに悩んだ。
一方、「決断」出来なかったり先送りする経営者は、大変厄介というより、失格であると思っている。なぜならば、全てが止まるからである。
案件で、右脳(感覚・勘定)で「決断」する場合と左脳(理論)で「決断」する場合でどちらが難しいとかと言えば、圧倒的に右脳系である。
左脳系の分析による「決断」は、経営者レベルの決断でも将来AIに取って代わられると思う。一方右脳系の「決断」は、シンギュラリティを待たなければ機械では出来ない。
「決断」するための材料が多いと結論を出しやすいかと言えば、そうでもない。
これは、やたらメニューが多い昼の定食屋で迷うのと同様である。
現代社会で厄介なのは、情報量が質量共に多すぎる事、それがいとも簡単に手に入る事である。
では本当に迷った時どうすればいいのか?
それは、信頼する人に聞くことである。さらに、その人が、過去に同様の経験をしていると答えは早い。ベストは、自らが同様の体験を持つこと。これで「決断」が容易に、スピーディーになる。
経験豊かな経営者が、優れた「決断」をするのはこれである。我々も多くの経験を積み、優れた「決断」が出来る力を持ちたいと思う。
これで、終わるときれいなのだが、この問題はまだ終わらない。
ただし、時には、過去の経験(成功体験)が、改革に対する「決断」を鈍らせたり、間違った「決断」をする事もよくある。
うーん、どうすればいいか「決断」するのに、また悩む(苦笑)
今回 教科書的になったので、面白くない。次回以降もう少し具体的に話します。
おまけ1:令和の年号を決める時、見識者たちは本当に悩んだと思う。
令和の音は、「ヘイワ」に似ている。これも狙いでこの名前を付けたのであれば、そのセンスに脱帽!
おまけ2:令和で言葉遊びをしていて、上に「く」をつけてみた。「くれいわ」(暗れいわ!)
「つ」をつけると「辛れいわ!」とネガティブばかりになる。一番「重い」言葉をつけた時「重れいわ」=「面れいわ!」と明るくなった!
今回の学び:社長に就任した人に何を贈ればいいか迷ったら、迷わず「サイコロ」を送ろう。必ず喜ばれるはずである。