寛斎さんは、謙虚であった。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」
寛斎さん位の偉人であるにも関わらず、こちらが恐縮する位、謙虚な方であった。
服飾の道に入り、たった5年の26歳の時にロンドンのショーで大成功をおさめ、その勢いでパリコレクションを開催した。しかし、パリでのショーは、失敗に終わり、経済的にも破綻寸前まで行き、死さえ考えたという。この生涯初の挫折で学んだものも多いという。
寛斎さんのお姿を見て、傲慢さは、人を小さく見せ、謙虚さは、逆に人を大きく見せる事を学んだ。
寛斎さんの謙虚な態度に接するたびに、その大きさや温かさを感じた。
寛斎さんは、シャイであった。
自ら情熱を傾けている事や信念を持っている事に関しては熱く語りかたる一方で、寛斎さんはとてもシャイであつた。
シャイだから、相手の気持ちを汲み繊細な様式を編み出せた一方、シャイだからいったん内に秘めたエネルギーを爆発させると誰も真似できないような大胆なファッションを作れたのだと思う。
ガガ、デビット・ボーイを始め、世界的なトップスターとの交流、人づきあいも繊細さと大胆さがあったからこその実現だと思う。
以前、食事の際に、仲居さんが、寛斎さんと知って驚いた時。「僕のこと知っているの?」と少しはにかみながら、嬉しそうにしていた姿が思い出される。
寛斎さんは、お茶目である。
人間40歳を過ぎると顔に性格が出るというが、
寛斎さんが、何か驚かせてやろうとしゃべり始める時の少し照れたような、リスのような前歯を見せて、いたずらっ子のようなお茶目な笑顔は忘れられない。
「治山さん、この前面白いことが有りまして・・。」とか、「治山さん、こんな面白い事を考えてみたんですがどう思います?」とか毎年の冒険談や新しいイベントのアイデアなどを語って頂いた。そこにはいつも、温かいユーモアが溢れていた。
僕自身、寛斎さんとお会いする時は、こちらも何か寛斎さんに褒めてもらおうと少し奇抜な服を着ていくが、もちろんいつも圧倒的に(あたりまえだが)寛斎さんの勝ちで、そのファッションはいつもお茶目な遊び心満載で、おしゃれってこんなに楽しいものなんだと、改めて思いだされた。
今も、世界で一番幸せそうな笑顔と太陽の中心のような情熱で語っておられたお姿が目に浮かぶ、もう寛斎さんにお会い出来ないと思うと、本当に辛く残念でしょうがない。
もっともっと前に、もっともっと熱く、これからやりたい事も多くあったと思う。僕自身ももっともっとお会いして、たくさんたくさん学びたかった。
今、お会い出来たなら、きっと背中を押して頂けたと思う。
「コロナ?うつむいてる場合じゃない!何事も諦めてはいけない!
心の底から楽しいと思える事を考えろ。それが治山さんの夢だ。
夢は追い続ければ必ず手に入る。もしそれが手に入らないのなら、求めないからだ。真剣に欲しがらないからだ!熱く生きろ!」
私の自宅のクローゼットには、太陽の光をいっぱいにうけたエーゲ海のようなキラキラ光る真っ青のジャケットある。寛斎さんから頂いたものだ。
これを着るたびに、寛斎さんの元気と笑顔を思い出していこう。
人生で出会えた人の中で本当に出会えて良かった人の一人である。
寛斎さん本当にありがとうございました。
多分、天国は今まで以上に、彩り豊かで元気になると思う。
ご冥福を心からお祈りいたします。
合掌
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