大仏 シャンシャン

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知人が、「癒やされるぅ」と言って、よくシャンシャンの動画を送ってくれる。最初は何気なく見ていたが、何度か見ているうちにホント「癒やされるぅ」

 

シャンシャンの魅力は、なんといっても幼児とおっさんの両面を持っている事!

小さい時にシンシン(母親)の後を常に離れず、トコトコと愛らしく追いかけたり、飼育員の人の足に両手でしがみついて離そうとしないしぐさは、まさに幼児。かわいいの一言!

一方、最近の木に寄りかかりデーンと座する姿は、浴衣姿で座椅子に腰かけて、ナイター中継を見ている昭和のオヤジそのもの。もしくは、相撲部屋の親方。貫禄十分、ごっつさんです!

食事の姿も、笹の枝をわしづかみにして、満足するまで食べ続ける。その姿を見ていると幼稚園児が棒飴をしゃぶっているようにも見えるし、おっさんがするめに噛みちぎっているようにも見える。シャンシャンの片方の手にワンカップの酒がないのが物足らないくらいである(笑)

寝ている姿も天下泰平。面白いのは、幼児が鉄棒の前回りの途中で、おなかを鉄棒に掛けたように身体を2つ折りにして寝る。落っこちないかと見ている我々がハラハラするが、本人は無防備、無頓着。その姿は熟睡している赤ん坊だし、酔っぱらいオヤジが、着替えもせずにそのまま死んだように眠る姿に似ている。

 

話は、全く変わるが「般若心境」というものがある。一時、写経会等でブームとなったあれである。文字数260時余りのおそらく最少文字数の経典の一つ。

ルーツは、かの有名な西遊記の三蔵法師がインドから持ち帰ったありがたい経典と言われている。

この基本的な教えは、「色即是空 空疎是色」

超訳すれば「世の中には、絶対や永遠といったものはない。だから物事に固執するのは、愚かな事。世の中の形あるものは、実体のないものであり、逆に実体のないものにこそ本質がある。」といった意味だそうだ。

 

さらに本文を読み解くと

(我々みんな)赤ちゃんの頃

見える世界は、光り輝いていた。

花々や風の流れを楽しみ、そして口に入れるものは全てが美味だった。

夜は、死んだように眠り、朝起きると日々新しい人生や発見に感動した。

しかし、大人になるにつれ

多くの悩みを持ち、恐れ、不安、後悔に震えながら、現実に目を背けている。

しかし、目を見開き周りをみた時に、結局恐れるものは何もなかった事にきづく。

見えないものに怯えていたのは、利害、妄想、憎しみ、金などに惑わされた結果であり、

損得、勝ち負け、焦り、くだらない自尊心で判断していたからである。

その一切合切捨てた時に、人々は自由になれる。そして真の人になれる

 

と、書かれている(超訳をさらに「治山流」に、解釈しているので誤訳もあると思いますが)と読んだあと、はたと気づいた。

 

これってシャンシャンの生き方じゃないか!

堂々として、誰も恐れず、何も気にせず、眠たい時に寝て、起きたい時の起き、腹がへれば、一杯になるまでササを食べ続ける。決して慌てず、急がない。

 

夜は、死んだように眠り、朝起きると日々新しい人生や発見に感動した。

しかし、大人になるにつれ多くの悩みを持ち、恐れ、不安、後悔に震えながら、現実に目を背けている。

しかし、目を見開き周りをみた時に、結局恐れるものは何もなかった事にきづく。

見えないものに怯えていたのは、利害、妄想、憎しみ、金などに惑わされた結果であり、

損得、勝ち負け、焦り、くだらない自尊心で判断していたからである。

その一切合切捨てた時に、人々は自由になれる。そして真の人になれる

 

見える世界は、光り輝いて、

花々や風の流れを楽しみ、そして口に入れるものは全てが美味だった。

夜は死んだように眠り、朝起きると日々新しい人生や驚きに感動した。

悩みのなければ、恐れ、不安、後悔もない。

利害、妄想、憎しみ、金などにどこ吹く風である。

あるいは、損得、勝ち負け、焦り、くだらない自尊心もない。

自由に生きる。本当に生きる。

 

だから、我々を含め日本の全員が、彼のしぐさに癒やされるのかもしれない

シャンシャンは、この閉塞的な日本、世界をいやすために生まれた、大仏かもしれない。

日本にいるのも、残り1年くらいと聞く。一度日本にいる間に、シャンシャン巡礼をしたいものである。

 

おまけ1

日本に最初にパンダを持ってきたのも、モナ・リザを持ってきたのも田中角栄である。どこまで凄いんだ、この人は!

 

おまけ2

飛行機で、寝ていて着陸間際に目が覚めて、隣を何気に見ると若い女性がこっちを見て、満面の笑みで見ていた。なんで僕の顔を見て笑う?おもわず背筋が凍った。よく見ると耳にイヤホン。なにか面白い音楽でも聴いていたのであろうか?

 

今回の学び「白でもなく黒でもない、両方備わっているからパンダ、世の中もおなじなんだなぁ」「空気なんか読めない。空気には、文字もなければ、文字もない。見えない物を見ようとするから疲れる。力を抜いて空気を身体に取り込むのが正解」

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はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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このページは、haruyamaが2019年6月29日 09:45に書いたブログ記事です。

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