あと少しで平成も終わる。
最後の最後でいろいろと「平成」で遊ばせてもらった。
今年の年賀状では、「もう少しで「平静」ではいられなくなります!新しいチャレンジを!」と書いた。
4月1日、新入社員を前に入社式後の懇親会の壇上で(「令和」発表の少し前に)
「実は、ここだけの話ですが、新年号を、あるルートから特別に教えてもらいました。それがこれです!」と発表した。
「希望」
(習字で書いたものを披露した。)
あまり受けなかったが、反応を見てから、
「今日は何の日か知っていますか?エイプリールフールです!」と前置きして、
「どんな時代になっても、「希望」を胸に頑張って下さい。」と繋げた。
もちろん「希望」という予想は外れたが、チベット語の発音で「令和(レイワ)」が「希望」を表すと聞いて、驚いた!
「昭和」の終わりと比較すると、世の中は「平成」を深く振り返ることなく終わろうとしている。
平成最後の日でさえ、民放では、夕方のニュースの延長以外は、ほぼ特集は組まれずバラエティ、ドラマなどがいつも通りの編成で流された。
ほとんどの人は、新時代の幕開けというより、自分自身のGW10連休をどう過ごすかに関心を寄せているようだ。
僕自身も、平成最後の日、いつも通りに出勤し、いつも通りに仕事をこなす。
今は、そういう時代なのだろうと思う。
明治、大正、昭和、平成、令和と時代が進むにつれ、国の事より個人の比率が高くなっていく。
これはそのまま、「地域と個人」、「集団と個人」、「会社と個人」に置き換えられる。
「国家のため」から、「(会社のための)モーレツ社員」、「24時間戦えますか?」、そして「(自分のための)働き方改革へ」と。
今では当たり前となっているものだが、平成の初期にはほとんどなかったPC、携帯、スマホ。
平成の時代、インターネット、SNSなどコミュニケーション手段は増えたが、逆に人はどんどん孤独になっていった。
孤独になることが不安で、SNSにつながりを求めた。しかし、相手のルールより自分のルールを優先しがちで、深く入り込めず表面的なつながりで終わる。今は、そんな時代。
うーん、めでたい新時代の幕開けとして、なんとも暗い話になったが、締めくくりとして、先日テレビで聞いた話を。
「令和」の基になった万葉集の時代。人々は「言霊」を非常に重んじていた。
言葉を発することで、それが呪文のように現実になると信じていた。
人々は様々な思いを込めて、和歌を作り、願った。
現代社会でも、言霊を信じる習慣は残っている。結婚式では、「別れる」とか「離れる」という言葉を避け、受験生にも「落ちる」という言葉を使わないようにする。
改めて「令和」の意味を考えると
「令」とは、規律・ルールであり、「和」とは、人と仲良くする事、協力する事である
人々が「令和」を口にする事により、言霊の力で、みんな仲良くなり、そして、自己のルールと同様に社会のルールを重んじる時代になるように祈るばかりである!
いい時代になるといいね!
おまけ
サントリーのBOSSの4月30日のみ流される1日限りのCMは、本当に泣ける。ネットでも見て下さい!!
今回の学び「号令だけでは、会社は変わらない。年号だけでも、時代は変わらない。必要なのは、行動である。」
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