2度ほど、ゴーン氏には会ったことがある。会ったというより見たという事の方が正しい。
岡山に講演に来た際、それに参加した。
彼の癖は、話す直前にスーツの両エリを引っ張り、襟が首にきちんと収まっているのを確認してからしゃべることである。フランス育ちだからか、おしゃれに大変気をつかっていた印象がある。
彼の最初の来岡(山)は、かれこれ15年前、日産をV字復活させた直後。
社長になりたてだった僕は、ここぞとばかり、質問し、それに丁寧に答えてくれた事を思いだす。
2度目は昨年、三菱自動車を吸収した時。今後の方向性を簡潔に分かりやすく説明し、またスタッフに明るい未来をイメージさせて、モチベートする姿に「変わっていないな」と感じた。
しかし、このころすでに15年前の彼とは、いろんな意味で大きな変化が起きていたのだと思う。
どこで感覚が狂ってしまったのかは、今後の捜査を待つとして・・。
今回の事件で感じたことは、経営者は本当に難しいという事。
何が難しいかと言えば、自分を制する事。
人間は弱い。経営者も一人の人間としてその弱さはある。やすきに流れる。
性善説でも性悪説でもなく。性弱説と思う。
経営は決断であるというで、日々いろんなビジネス上の決断がある。
と同時に、誘惑に対する決断も多い。
自分である程度なんでも決められる立場になると、余計その弱さ、誘惑との戦いになる。
誘惑は、非常に多い。
もちろん違法な事は、普通の経営者は絶対しないが、問題なのは、もっと日常的で些細な事。
例えば、僕自身、毎週店を回る。別に回らなくて誰にも、とがめられない。大抵休みに回るため、むしろ、「社長たまには休んで下さいよ」と言われる。
「でも、やはり現場に常に接してないと、現場のスタッフやお客様から感覚がずれてくる。」という自分自身の勝手な理由で、毎週の店回りを課している。
これも、心の誘惑魔の「今日はもういいんじゃない」という声との戦いである。
同様に自らのスケジュール、報酬、人事もやりたい放題とは言わないが、大きな裁量はある。
その決定において重要なのは自分個人に有利に考えない事である。
何年も前に経営者仲間とまじめに(今やはやりの)西郷ドンの「南洲翁遺訓」を勉強した。寺子屋のように、原文を唱和しその意味を考え、自分たちの経営に当てはめ、議論すると、いったことを、半年位かけて全文やった。
(その前は「論語と算盤」渋沢栄一著。なんとも高尚な会なことか!)実際はその後の飲みが目的だったことも否定しないが。
ご存知の方も多いと思うが、「南洲翁遺訓」での最大の価値観は、「リーダーは、いささかでも私利私欲があってはならない。」こと。
その時、みんなが思ったのは、「経営者は修行僧のように、全ての欲を捨てないといけないのか。徹底的に自分を利することを排除する?これは無理だわ!」
我々は、まだ若く、枯れていなかった。(今でも枯れてないが)そこでの我々の結論は、「全ての欲は捨てられない。であるならば、利己以上に利他を考えよう。自分を愛すると同様の気持ちで他人が利する事を実行しよう。」
利己を否定して修行僧のような生活を送るより、社員やお客様、取引先、その他のステークホルダーに感謝して、特にスタッフの利他を考えて働くことが大切だと。
正直、これもなかなか難しいけれど、それ以来、我々は少しずつだが実行している。
ゴーン氏は、出だしに書いた通り、着こなしと同様、自分が人にどう見られるか気にしていたと思う。自分を愛するがごとく、社員を愛して、一年に数回しかいかない別荘なんか作らず、そのお金を彼らに還元していたら違う事になっていたんだろうなぁと残念である。
最後に(我々が無理だ!言った)「南洲翁遺訓」を100%実行した経営者は、誰もいないのか?
いや、一人知っている。
それは土光さんだ!彼の生き方は真似できないけれど、一歩でも近づきたい偉人である。
今回の教訓「土光さんは、やっぱり偉い!」