ラペルと言われる上着の正面の部分を天使の羽のように丸く立体にしよう!
そのために、表地と裏地の間に、馬のたてがみを縫い合わせて作った芯地を使う事を思いついた。(馬のたてがみは、軽く、張りがある)
袖の付け根部分を腕の丸さを生かしつつ、動きやすくしよう!
そのために袖の付け根の丸い部分にそって、「いせ込み」といわれる腕の太さよりかなり長い生地を折り込みながら縫っていく。提灯の上下の金具のワクの部分に紙をじゃバラにして折りたたんで突っ込んでいくみたいに。
提灯は、紙が折り込まれている折り目が見えるが、いいスーツは袖の付け根にしわがあるのは許されない。美しくない。(皆さんのスーツでも確認して下さい)
機械でもこの作業は可能だが、職人の針で一穴、一穴縫い、さらに別の職人によるアイロンがけで形を整えていくのに勝る方法はない。
肩から首に沿って富士山の2合目から5合目のように美しいカーブを作ろう!
そのために「登り襟」とよばれる、襟とボディーを別々に作り、首にスーツの襟が吸い付くようにピタリと収まるように職人のミリ単位の縫製を行う。
これが上手くできると、肩が軽く感じるのみではなく、くっついたら離さないような
一体感が生まれる。
とまあ、スーツの「より美しく」、「より着やすく」を追求した技の数々を語りだすときりがないので、また次の機会に。
最後に一つ。
これらの手縫いの技術は、着れば着るほど体になじんでくる。
車でも家電でも、大抵のモノは、買った時が最高の状態。そこから劣化が進んでくる。
しかし、このスーツは、着れば着るほど良くなっていく。これもスーツの魔力である。
こういった長年作り上げてきた伝統、職人技が、「田原コンサートのスーツ」には全部ある。ラーメンでいうと「全部のせ」状態である。まさに贅沢である。
そんなスーツを、ぼくは今度オーダーした。少年のころのクリスマスや家族旅行を楽しみに指折り数えた日々がよみがえる。
おまけ
日本の近代化はスーツで始まった。いろいろなものを西洋から取り入れた際、髪の毛と着物を早々に西洋化した。まさに見た目が変わることにより、人々の意識を変えていった。
ここにもスーツの魔力というか、力がある。
明治天皇が前触れもなく、スーツを着て人々の前に姿を現したそうだ。その時の人々の驚きは、想像に難くない。古き慣習を捨て、見た目を西洋化した勇気には驚く。
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