このたび、ルノアールを「幸せの画家」として公認致します!
と言っても何の権限でもないのですが・・。
今、フランスが大変なことになっている。前回そして今回のテロにおいて犠牲を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げる、(このブログは7月に書きました。)
度重なるテロを受けて市民の心は、非常に沈んでいると思う。大好きな国だけに心が痛む。
今こそ、フランス人にはルノアールに触れてほしいと思う。このフランスの宝で一時でも、フランスの人たちが心穏やかになる事を祈る。
新国立美術館にて、ルノアール展に行ってきた。
1.最初と最後は「ルノアール」
日本人が好きな画家を3人上げろ言われると、大抵ルノアールは入るのではないか?
と言う私も、印象派の中で最初に好きになった画家の1人であった。
その後、いろんな画家に触れる機会を経てルノアールの絵がまろやかすぎて、少し刺激のある変わった画家に興味が移っていった。
そして今回のルノアール展。
やはり、ルノアールは良かった、よすぎて思わず画集を買ってしまった。(笑)
ちょうど、ディズニーランドに行って、刺激的あるいは最新のアトラクションを行きたおした後で、「やっぱり、しめは、イッツァ・スモールワールドだよね!」と思う感覚に近い。
最初と最後はルノアール。(決して喫茶店の話ではありません(笑))
2.無限大の幸せ「ムーラン.ド。ギャレットのブドウかい」
ルノアールを見ると、幸せな気分になる。これは誰もが感じる事であろう。
この作品も、柔らかい日差しの下で、陽気な仲間に囲まれ、美味しい酒を飲みながら、おしゃべりをする。これ以上の幸せがある?そんな絵である。
学生時代、立教大学のキャンパスでも良く見た風景だ。(酒はなかったが)
結婚式のスピーチのベタネタに、「ベターハーフ」と言うのがある。(ベタを掛けました(苦笑)) 「不幸は二人で分けると半分に、幸せは二人で足すと倍に。」と言うあれである。この絵の何百人もいるであろう人の表情は全て優しく、笑っている。この絵は、そういう意味では、幸せの連鎖、無限大である。
いつも通り、まだまだ続く
3.ルノアールのラブレター「田舎のダンス」と「都会のダンス」
両作品とも縦2m弱、横1mもあろうかという大迫力の作品である。
どちらの絵が好きかは、議論の分かれるところであるが、僕は田舎のダンスに魅かれる。
「都会のダンス」は、ドレスの女性の緊張が伝わって来るようで、こちらも少し構え
一方「田舎のダンス」は、本当に見ていると思わず顔がゆるんでくる。おめかしした
衣装であるが、なぜがバタ臭い。(大阪あたりで良く見かける(笑))
しかし、この女性の表情は、圧倒的に嬉し楽しそうである。(これも大阪あたりでよく見かける)
この「田舎のダンス」のモデルは、ルノアールの生涯の伴侶とのこと。ルノアールは、
彼女に対するありったけの思いを込めてこの絵を描いたと思う。これは、「あなたが好きです!大好きです!」と言うルノアールのラブレターでもある。
4.熱く!ではなく、温かくなるのが幸せ「ピアノを弾く少女たち」
ルノアールの絵を見ていると、心が少し温かくなる気がする。
こんな人、周りにいませんか?その人と会うだけで、ほんわかと幸せな気分になる。
そう「トトロ」のような人。決して激しさによるエネルギーではなく、温かさによるエネルギー。
ぐいぐい引っ張っていく上司もいいが、職場の雰囲気を温かくする。そんな上司が周りにいたら最高ですよね!
「ピアノを弾く少女」を見た時、部屋の雰囲気が、パッと明るくなるだけではなく、温度さえも少し上がった気がした。
ゴッホやルーベンスなど会場が明るくなる画家はいても、温度まで上がる画家は少ない。
ルノアールは、暖炉のような温かさである。
5.木から板をつるしただけ、それだけで人は幸せになれる「ブランコ」
幸せは特別な事ではない、当たり前の事が幸せなんだ。海外の悲惨なニュースを見るたびに日常の幸せを感じる。そんな作品の一つが、この作品。
日常のなにげない瞬間を切り取っている。このブランコに乗っているのは子供ではなく大人、それが本当に楽しそう。ハイジのように楽しそう。
(以前にも書いたが)ガラヴァッツォは、劇的な瞬間をドラマチックに表現した、ルノアールも同様である。しかし両者の間には決定的な差がある。ガラヴァッツォは、闇の部分を切り取ったのに対して、ルノアールは、幸せの瞬間を切り取っている。
彼が切り取った幸せな一コマは、それを見る人を全ての人を幸せな気分にしてくれる。
さて、今全米で「ポケモンGO」が大人気と言う。モバイルホンで日常の景色をカメラで撮ると、そこにポケモンが写り、それをゲットするゲームだという。
そう、僕らの周りに、どこにでもポケモンがいるように、どこにでも幸せはある。
6.「道化師(ココの肖像)」やっぱり年を取ってからの子供はかわいいんだな。
自分の子供に対しての絵は、又特別で画面にはみ出るぐらい愛情があふれている。
「ガブリエルとジャン」何かおもちゃで遊んでいるその絵は、昔小田和正の歌にのっけて明治生命がやっていた家族の愛情写真キャンペーンを彷彿させる。
そして、とくに、60歳の時に生まれた三男のココ(ふつう孫じゃん!ただ最近73さんにしてパパになったミックジャガーには負ける(笑))対しては、90点を超える作品を残しているらしい。
もうかわいくてかわいくてしょうがないのだろう。丁度 じいちゃんが孫を溺愛して、何枚も何枚も写真を取るように。描いているほうも、描かれているほうも両方幸せであったんだろうなぁという情景が目に浮かぶ。
7.フォーエル(当社がやっているビッグサイズ専門店)万歳!ぼっちゃり美人は、
女神である「横たわる裸婦」
最近 男も女もとにかく、やせなければ!と強迫観念に追いまくられているのを目にする。見た目充分細いのに、もっとやせたいもっとやせたいと10人いれば10人いう。そんな人たちは、ぜひルノアールを見てほしい。2段腹、3段腹がなんて美しいのだろうか?ミロのビーナスもぽっちゃり系。そこには生命の強さと輝きが見える。
命名 ぼっちゃり系=ルノアール美人。
「あなたはルノアールに似てるね?」こう言われて怒る女性はいない。ルノアール美人を流行らせよう。
8.宮崎駿作品のヒロインのような「ジュリー・マネ (猫を抱く子供)」
この作品は他のルノアール作品とは、明らかにタッチが違う。ド素人の僕にでもわかる。
特にこの中の猫なんて、少女マンガに出来てるような猫である。それを抱えている少女も、宮崎駿作品のヒロインみたいに凛としている。
この作品には物語がある。
マネとは、かのマネの弟の子供。この少女がまだ若い時に両親が亡くなり、ルノアールは後見人として育てた。愛情の物語である。
生前、両親が頼んでルノアールが描いたというこの作品。これをジュリーは生涯手元に置いていたという。絵とは時として両親の代わりとして心の支えにさえなる。
「絵は見るものではなく、一緒に生きるものだ。」ルノアール
ファイナルに向けて、もう少しつづく。
9.「浴女たち」 ミッションとは、辛く、悲しく、そして覚悟が必要な事である。
いつまでもルノアールワールドに浸っていたいが、そろそろ皆さんも飽きてきたと思うし、紙面の都合もあるので、これを最後にする。(笑)
「浴女たち」 ルノアールの幸せの情景。ここに極まり!
芝生に横たわっている女性を見ていると、雲の上に浮かんでいるようであり、極楽のようでもある。
ルノアールの真骨頂は、最晩年に表れている。
ルノアールが生涯をかけて、幸せとはなにか?を探り続けて行きついたのが、この作品のような気がする。
それは、「裸婦」であり、「明るい色遣い」であり、そして「親しい人とのなにげないひと時」である。この作品は、それが全部のせ!である。
まず、キャンパスの真ん中にウルフギャングのステーキのようにドーンと2枚、失礼、2体の裸婦が横たわっている。すごい迫力である。色遣いも「幸せの色」を定義すると多分こういう色なんだろうと思う色で描かれている。表情は、夢見る少女とそれを楽しそうに聞く友達。楽しいおしゃべりはずっと続きそうである。幸せ度MAX!
しかし、この作品をルノアールは不幸のどん底で描いた。
自身はリウマチの為に絵筆が持てず、腕にくくり付けて描いたという。また最愛の妻を失い、あの愛情の絵の子供も戦争で負傷して帰ってきている。
そんな最悪の環境の中で、最高に幸せな絵を描いている。
モーツァルトが最晩年病気に悩み、貧困の中で書いた、こんかぎり美しいメロディ「ピアノ協奏曲27」を彷彿させる。
なぜ、真の芸術家たちは、どんなに苦しい環境の中でも、それをおくびにもださず、素晴らしい作品を作れるのであろうか?
それに答えるように、ルノアールの言葉がある「最善を尽くすまで、死ぬわけにはいかない」 泣ける。
締めくくりに、ルノアールの言葉を
今回の学び 「芸術が愛らしいものであって、なんでいけないんだ。世の中は不愉快な事ばかりじゃないか!」
終わり
追伸
岡山の大原美術館を作る際、大原孫三郎の命を受け大変大きな役割しめした画家に児島虎次郎がいる。彼のやさしさの絵は、ルノアールにとても似ている。彼を日本の「幸せの画家」第一号として公認します。岡山に行った際にはぜひとも触れてください!