ド素人の浮世絵考(芸術月間その1)③

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しつこく続く(苦笑)

さて後半戦です。ひきつづき推理しながら、お進みください。

 

6.      セザンヌのように

セザンヌは、自然の全てを「球と三角錐と三角柱」で表現しようとしたと言われる。まさに記号化である。

日本には、庭山水という世界にどこにもない表現方法がある。禅寺などはよく見かけるあれである。

日本人は、壮大な実際の山や川を、庭と言う限られた空間の中で表現した、いわば自然のジオラマである。自然をジオラマ化するには、切り取り、簡略化、記号化(アイコン)が欠かせない。

それと同じ表現が広重作品にあった。

風景を、大胆に簡略化、記号化している。先ほどのデフォルメと相まって「間違えようのない分かり易い」名所という世界がここにある!

余談だが、実は日本人はこの記号化がお家芸である。家紋はもちろん、最近のLINEのスタンプなども感情の表現をよくまあこんなに簡潔に記号化していると感動すらする。

7.      ゴッホ、ルソーのように

今回の展示会を見て最初に感じたのは、その色の鮮やかなこと。とても100年以上前の色ではない。この驚きは、ゴッホやルソーを見た時に感じた絵自体が発光しているように色鮮やかである。色が、どんどん迫ってくる。

特に赤が活きている。この赤により絵がピリッと締って見える。丁度、うどんに入れた七味のように、

 

8.      ピカソのように

ピカソは2次元のキャンパス上でいかに3次元を表現できないかチャレンジして、あの訳わからない絵にたどり着いたという。

広重の鳴門の渦や銚子の海の絵をじっと見てみる。不思議不思議、波が動き出す。

これは、北斎の富嶽三十六景の神奈川沖浪裏でも同じである。2次元でありながら、異様な立体感がある。この波に吸い込まれる感覚に襲われる。以前、カナダでナイアガラの滝を見た時と同じ印象を持つレベルだから恐ろしい。

さらに、見えないものまで、立体化して体験させる。例えば風の見える化「美作 山伏谷」。しんと静まり返った音の見える化「永代橋 佃しま」花火の音も「両国花火」さらには、竹藪の臭いさえも「庄野」

 

9.      マチスのように

実際の色ではなく、目に見える色をイメージに置き換え、色の縛りから解放してくれる。

現実の世界は無限の色で満ち溢れている。それを、絵画で表現する時は限られた絵具の色で再現しなくてはならない。浮世絵のように、版画絵になると使える色がさらに限定されてくる。大変だったと思う。その少ない色数で自然を再現する。そこでは、人並み外れた判断力が試される。現実とイメージの色がバチッとマッチした時、絵を見た後の風景が、その色には思えなくなるから不思議である。

10.      ミロのように

ミロを見ろ!ではなく(苦笑)ミロは考えるものだと思う。最初見た時は、何だこれは?という歯牙にもかけないで通り過ぎた。しかし、よくよく解説を聞いてみると、全ての線、全ての図形がそれ以上でもそれ以下でもない位、切り落とされてあの絵になっているらしい。感情で描くのではなく、知性で組み立てるという感じである。

さて、東海道五十三次の構図には驚く。例えば新幹線は横長の絵で表現した方が、楽である。しかし、広重はそのような普通を嫌い、徹底的に計算しつくして、違和感なく魅力的に描いている。

手帳の下絵を見ると、「天橋立」は当然、横長のページにはみ出すくらい描いてあった。それをなんと縦の構図を直して、実物よりも実物近くにしている。横でしか表現でいないはずの「丹後 天の橋立」の構図には心底驚いた。

 

ここまで、続けてきた戯言にお付き合い頂き、ありがとうございます。

みなさん、浮世絵がなぜすごいか?僕なりの「答え」が分かったでしょうか?

 

それでは、答えの発表です。ジャン!

 

答えは...(だましてすみません、)10どれも×です。

結局は、最初にお話しました通り、絵画ド素人が、小賢しくどこかでかじった知識をもっともらしく語ってきたことがで、「浮世絵の凄さが表現できるわけがない!」というのが結論です。

上記の戯言は、浮世絵鑑賞において全く無駄と分かりました(苦笑)。すみません。

絵画は、やはり理屈ではなく、感覚で感じさえすればそれでOKと言うのが答えです。

 

お付き合い頂いた方、申し訳ございません。

ド素人は、ド素人らしくただ味わい感動すればいい!というのが今回のブログの結論です(苦笑)

料理も、音楽も、同様で小賢しい解説はいらないから、早く食べさせろ!早く見せろ、聞かせれろ!が、答えかなと思います。

 

最後に蛇足を。

 

なぜこれほどすごい浮世絵が、長年日本では正当な評価を受けず、ほとんどが西洋に流出したのか?それは、実は身近すぎてその偉大さが分からなかったのではないか?丁度本当に凄い人を家族に持った者は、当たり前すぎてその凄さが分からなくなるように。

アインシュタインもジョブズも坂本竜馬なども、周りが騒ぐからすごい人だと思うけれど、

身内から見ると実は単なる変人さだけが、際立って見えたのではないか?

 

そういえば、僕の事も身内はあまり評価してくれていない気がする。ということは、実は偉大なのでは?というのは冗談だが(笑)ただ、冷静に見ると周りも評価してないような気もするのでやっぱり凡人(笑)

話を元に戻すと、当社でも身近すぎて、その能力をちゃんと評価できていない人もいると思う。

固定観念を捨てて、もっと本質を見て評価しようと、これもまた広重に教えられました。

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はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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このページは、haruyamaが2016年7月20日 09:30に書いたブログ記事です。

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