前回の続きです。すでに、飽きた人は、答えだけを。
もう少し付き合ってもいいと思う方は、ひき続き、これら10のうちどれか?
僕なりの浮世絵のすごさの「答え」を推理しながらお読みください。
1.
江戸時代のグーグルアース
現代の我々はグーグルアースを使って、居ながらにして世界を旅できる。広重の絵がまさにこれ!
この時代の人々は、今以上に旅するのに苦労したと思う。実際ほぼ不可能だったのではないか?もちろんテレビもネットも写真さえない。そんな中、広重の浮世絵を見て、自分が実際に旅をしている気になったのではないか?東海道、富士山、江戸の名所など。我々でさえ、このたったA3大の小さな絵をじっと見ていると、その場にいるような気になる。恐れ入る。
さらに凄いのが、ズームもワイドも自由自在。遠くで全体図を見ていると思えば、ズームしてその橋に立っているような絵もある。
さらにさらに、それだけでは終わらない。目線の高ささえも。鷹の目線のように空からだと思っていたら、一気に下りて虫や犬の目線になる。人々が、その風景でどこが一番見たいかをまるで、知っているかのような描き方をしている。
まさにグーグルアース!
極めつけは驚くなかれ、もはやグーグルアースを超える!
広重は、グーグルアースでも出来ない事さえ、簡単に行っている。
それは・・。デフォルメ。強烈なデフォルメ。
例えば富士山。こんなにとがっていた?など関係ない。解説などいらなくて、誰がどう見ても富士山である。
特徴をとらえてデフォルメは、浮世絵の真骨頂。役者絵など、その最たるもの。似顔絵や、形態模写は、本人以上の本人と分かる。はやりのAI(人口知能)による顔認証など百年以上前からやっている。
2.
ファンアイクのように
ゲントで「神秘の仔羊」を見た時にその精密度合いにド肝を抜かれたが。広重の絵にもそれを感じた。細かい草花、髪の毛、人間はここまで緻密になれるのか?しかも筆で。しかもしかも、浮世絵はこれで終わりではない。彫師もこの胃が痛くなるような作業をしていたなんて気が遠くなる。どこまで細かいのだ!
3.
ブリューゲルのように
ブリューゲルが、市井の人を題材にしてその時代の人々の暮らしを描いたのに似て、
広重の浮世絵にも、ほとんどの場合、人々がいる。笑って、泣いて、驚いて、困って、登場人物も魚屋、商人、遊女などなど。リアル時代劇を見ているようで、その時代のにおいさえ感じる
4.
マネのように
構図が凄い、一瞬にして目を引かれる。そのために、物体の一部しか描かないことなどザラ。顔の半分や、亀、荷車なども大胆に切っている。
この大胆さはどこから?思うに古典の西洋画はほとんど一人のパトロンの注文で書いている。しかし、浮世絵は大衆相手の商品であり、一瞬にして他の作品より目立って、しかも欲しいと思わせないと売れない。自分の描きたい事と言うより、目立ち、売れる物を。そのシビアな現実が、浮世絵をより、大胆な構図にさせたのではないか?
5.
モネのように
4にも通じるが、人は見たいものを見て、聞きたい事を聞く。見たく聞きたくない物は、脳が勝手に削除する。(ここがAIとの違いといわれる。)例えば、雑踏の中で自分の子供の泣き声を聞きわけるがごとく。人は目で無く、脳で観る。
モネの睡蓮は、目でなく頭で感じる。だから本物以上に心にしみると思う。
広重の絵も、単に自然を再現したのではなく、広重の心の目というフィルターを通して、本物以上に本物の美しさを見せてくれる。
次回に続く
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