この度の震災において、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
熊本に行ってきた。当社の店も大きな被害を受け、そのうち一店舗は全損となった。
しかし、今回の震災においてスタッフとご家族が全員無事であったことが何よりも嬉しいことであった。
震災の現場に行くたびに思う事であるが、報道されているのは事実のほんの一部であって生の姿は、その場に立って、そこの空気をすわないと分からない。
スタッフの1人が言った。「震度7は、地震と分からないんです。「ドーン」と最初ダンプか何かが突っ込んできたのかと思いました。何の予兆もない。怖くて怖くてしばらく動けませんでした。」
店に向かう途中で、小高い丘から街を見るとブルーシートが点在して見える。過去の震災の時もそうだったが、ブルーシートは震災の色だ。これを見ていると本当に心が締め付けられる。熊本の美しい風景が、ブルーで汚されている。この全てが一日も早く取り除けることを強く望んだ。
今回一番被害が大きかったのが、PSFAの店舗。
廃墟となっている店内に、防埃マスクとヘルメット姿で入った。
天井が落ち、蛍光灯も宙ぶらりん状態で、ガラスの破片が飛び散っている中、進んで行った。
ここには何度も来ている。行き慣れたはずの通路が、初めての建物の様に感じる。
目を覆いたくなくなるような様子を数限りなく通過した後に、いきなり自店が飛び込んできた。覚悟はしていたが信じられない光景であった。天井は崩れ落ち、壁と言う壁はほぼ破壊されて、その上に幾重にも重なった什器。そして無残にもガラスとほこりをかぶっている商品群。足の踏み場もない。
聞けば、最初の地震の時、店のスタッフはここに居たらしい。そこから逃げて無事だった。本当に奇跡であろう。よく無事で逃げてくれた!たまたま、幸運にも一週間前に年に二回の避難訓練があったらしい。その訓練が今回活きた。
彼らは、まだ余震が続く中、がれきの整理をしているという。「無事にいることが第一優先なので、無理をしないでくれ。」というと、「商品の処理だけは、店舗側に依頼されているので、もう少しで終わりますので、済ませます。」と笑顔で言う。危惧をしつつ、彼らの気持ちに胸が熱くなった。
その他、震災直後は多くの店が閉まっていたが、安全が確認された店は営業を再開している。ただ、それぞれ震災の傷跡が生々しい。入口のガラスが壊れ、べニア板でとりあえずふさいでいる店、店内の天井が破壊されて一部囲いがしてある店、店内の破損個所をブルーシートで覆っている店。いずれも修復を待たずに再開している。
彼らに「もう少し落ち着いてからの方がいいのではないか?」と言っても、
「引き取りのお客様が困るといけませんので、また生活物資を買い求められるお客様も来店されますので。」一応に、被災された地域の方々に自分たちが出来る事で貢献したいと言った。
普段お題目の様になっている企業理念「お客様第一主義」の実践を見たようで、本当頭が下がった。
彼自身が、被災して苦労をしているだけに、何かしたいという気持ちが強いのだという。実際、何日もお風呂に入れなかったり、近くの銭湯も3時間待ち、奥さんの実家が危険なため2家族以上が狭いマンションで同居している者、余震の事に幼い子供が泣くという者、震災後しばらくは車で暮らしていたという者。その彼らが我々に「大丈夫です。ありがとうございます。」と笑顔を見せてくれる。
そして「救援物資、ありがとうございました。本当に助かりました。」と感謝の言葉を多く言われた。
今回震災があった直後、すぐに救援物資を届けた。まだ余震が続く中、本部と周辺の県のスタッフが被災した仲間たちを助けたいと自主的に動いて届けてくれた。
これまで、阪神大震災、新潟上越地震、東日本大震災を経験してきた我々の社員たちは、我々幹部が指示をする前に自主的に募金活動やボランティアを実行してくれる。
そんな彼らを見ていると本当に心が温かくなる。
東日本大震災の時に広まった言葉「絆」。こういった震災があるたびに、普段見えない「絆」の存在が見える化する。そして同時に人の心の「温」が顕在化する。
また現地の方々は、どんなに踏まれても傷ついても、前に進もうとする「強さ」を感じる。
帰りの熊本駅で次のような手書きボードを見た。
「感謝
熊本のことを気にかけ、励ましてくださった皆さま ありがとう。
水や救援物資を送ってくださった皆さま ありがとう。
余震の続く中、身の危険を顧みず、ライフラインの復旧にご尽力いただいた皆さま
ありがとう。
皆さまから頂いた力で、少しずつ熊本も
元気を取り戻します。
がまだせ 熊本! 」
「絆」「温」「強さ」をもらい、全力で支援していこうと帰路についた。
がまだす 熊本!
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