僕と同じような読書好きの人に「これ絶対今年の直木賞候補になる!」と勧められた本が、
山田 宗樹 著 「百年法」(角川書店)だった。
残念ながら、直木賞候補にはならなかったが間違いなく名作であった。
山田氏は、ご存知の「嫌われ松子の一生」の著者。
著者自らが「これ以上のものは書けません。」というだけあって、上下巻合わせて800ページ以上。
圧巻、熱巻、そして圧巻の作品だった。
時代は近未来。舞台は日本。人類はついに不老不死の方法を手にする。しかし、その処置を
受ける条件として、百年法と言われる法律を受け入れなければならない。
その法律「生存制限法」(通称 百年法)とは、処置から百年が経過すると法律により、生存権を
立たれる。つまり死が待っている。
寿命ではなく、法律によって生きる期限が決められる。クローンにより「産む」技術を手に入れた
人類は、自然の最後の領域、「死」さえもその手中に収めてしまった。
全編に渡って問いかけてくるのは、生とは、死とは、老いるとは?
ただし、ご安心を。非常に重い、哲学的なテーマをベースにしながらも、著者はさすが横溝正史
賞受賞作家だけあって息もつかせぬサスペンス仕立てで、最後の一ページまで一気に読ませる。
舞台となる社会は、現代の日本と非常に似ている。そこが面白い。登場する人々は、どこかで
見た事がある気がする。未来を描いているようで、今を描き。そして現代社会を完全にパロディ化
している。ありえないような設定のようで、実は、現実の社会問題を鋭くついている。
この話はありえない話ではない、今や国民の4分の一が65歳以上と言われる超高齢化社会日本
で、その寿命が永遠になったとしたら?
小説の中の人々は、宗教的なものに頼ることは少ない。(これも現代の一般大衆) 一方、
お上、国を動かしている一部の人たちに頼り切っている。ほとんど物言わぬ大衆と化して。
それは、まさに今の日本、もっと言えば日本人のDNAに地いのではないかと感じる。
自分たちの運命を、お上にゆだねる。
その時、政治家、官僚はどう立ち振るまい、どう導いていくのであろうか?それ以上に、その
覚悟をもった政治家たちがいるだろうか?著者は問いかける。政治家の覚悟を問いかける。
よく人間の本質は、死を直面した時にもっとも現れると言われるが、この小説に出てくる人々は、
ほぼ全員が死に直面している。いわば、全員が余命幾年という宣告を受けた上で生きている様な
もの。本質が見えてくる。
しかし、著者はこれでは終わらない。もう一つの日本人的な本質。思いやりや自己犠牲、そして、
完全に腹が据わった時の決断力を描く。
この中で、何度か国民全員が動く時がある。その時、日本人は、日本人として考え動く。
日本人の日本人による日本人のための小説。2013年、いろんな意味で、今日本は国の在り方が
問われている。さてさてさて、みなさんはこの小説を読んでどう感じるでしょうか?
最後は、別の視点で。
新しい一年が始まりました。
この100年法ではないけれど、考えてみると私たちも長くても期限が決められた何十年の中で、
日々を暮らしている。この小説に出てくる人々は、なんら我々と変わらない。一点の
違いは、人生の期限が、本人が知り得るかどうかだけの話。
ここに出てくる人は、処置を受けて(たいてい20代)100年後なので、たいてい120年位の寿命
である。我々に比べて、長いと感じるが、小説の中の人々は、もっと長くもっと長くと生きる事に固執
する。
そして、何をするわけでもなく、日々淡々と生きていく。
確かに、我々は120年の寿命と思っても、すごいことが出来るであろう!と思ってもついつい
日々の生活に忙殺されて、川の流れのように流れていく。
人生の充実は、時間ではなくその中身の問題だと著者は言っているような気がする。
さあ、中身を充実しよう!今年も面白い事をやろう!人生は短い。
と誓った2012年 正月でした。
/治山