先日、仙台の被災地を訪れました。
その光景を見たとき、悲惨という以外、表現できませんでした。
市内は、一見いつもと同じ顔を見せていましたが、地震の爪跡をいたるところで目にしました。
宿泊したホテルも、壁が崩れて、覆いの為にネットが張られていました。
街中に比べ沿岸部はさらにひどく、直視できない現状です。
私たちは多賀城にある、私たちの店舗、多賀城店のあとに行ってきました。そこにあるのは巨大津波
で全てを失った廃墟でした。
多賀城に近づくにつれて、被害のすさまじさを目の当たりにしました。
隆起した道で車は上下に揺れ、道路の脇には泥やゴミ、原型が分からないほどぐしゃぐしゃになった
車がいたるところにそのままになっていました。
現場にだんだんと近づく道中で悲惨な状況が明らかになる度、被害を受けた店舗の残骸を見る心の
準備は出来ているのか?と自分に問い続けている自分がいました。
その答えが出ないまま、店のあとに着きました。
着いたとたん、私は声を失いました。そして、出てくるのはため息ばかりでした。
店の建物は傾き、一階の商品、什器は全て流され、屋根つきの駐車場のように空洞化した一階には
流されてきた廃車やゴミが掃き溜めたように散乱しています。
隣の店には車が逆立ちするように廃車となっていました。
周り一帯には泥だらけになったスーツや商品がちらばっていました。
ボディが木にひっかかっていたり、ジャケットが車に張り付いていたり、恐ろしい光景でした。異臭も
漂っていました。
スタッフに話を聞くと、震災が終わったあともそこは地獄のようだったといいます。
車は空き缶やごみのようにいたるところに転がり、色を失った世界です。戦争は知らないけれど
空襲に遭った町というのは、こういうものなのだろうか・・・と。
しかし、その後どこの店舗を廻っても、スタッフの皆はそのような心の傷を表面に出さず、
元気を奮い立たせて仕事に出ています。
しかし震災はまだ終わってはおらず、私が仙台へ行っている間も、何度も大きな揺れを経験しま
した。すごく怖いです。その中で皆生活をしています。今でもガスが止まり、お風呂も入れないスタッ
フも多くいます。水道が止まり、水も充分ではありません。家が流されて家族全員で親戚の家で
暮らしているスタッフもいます。
そんな中でも、私たちが行くと精一杯の笑顔をくれます。思わず胸が熱くなりました。
みんな「よくきていただきありがとうございます。」「支援物資を送っていただき助かりました。」と
言ってくれます。心から感謝されます。
震災直後の店内は、什器やボディが倒れ、商品が足の踏み場もない位、ぐちゃぐちゃになっていた
そうです。それを周辺のスタッフみんなの力できれいに直したそうです。
そのような作業をする時にも、店のスタッフは、外にでるのが怖かったそうです。震災後は、いつまた
地震がくるかもしれない。もし地震があって、家族とバラバラになるのが怖い。家族のことを考えると
外に出たくない。それが本音だったそうです。
しかし、店長を中心に「いつまでも暗くはできない。みんなで勇気を出して働こう。」と声をかけあって
店に出ています。そんな中で店をあけると、生活に必要なものを買いにこられたお客様に本当に
喜んでいただき、店がそこにあるということがいかに素晴らしいかを実感しているそうです。
仙台に行くといたるところに「がんばろう宮城」や「がんばろう仙台」といったポスターが貼ってあり
ます。みんなが助け合ってなんとかこの震災から立ち上がろうという強い、熱い意思を感じます。
社内で募った義援金を一人一人に渡しました。中には涙を流した方もいました。
みなさんの温かい心が伝わりました。人は辛いときほど人の優しさが温かく感じます。
仲間が困っているときに、本当に助けたいと思い、そして彼らの痛みを少しでも理解し、そして
みんなで助けるために行動する。そんな会社になりたいと思います。
そんな時、本当に誇れる会社になると思います。
今回のこの光景を一生忘れないようにしよう。そして今、出来ることを全力で行い、少しでも震災の
復興の為に役立てるようになる、改めてそう心に誓いました。一日も早い復興を心から祈って。
/治山