2010年を振り返ると、私の親しい方々が亡くなった年でもありました。
お葬式に出るたびに、人間の一生、そして人の幸せとは?という普段あまり考えないことを考えて
しまいます。
人の一生はたかだか100年。本当に、大河の一滴と思います。
どんなに立派な方、そして偉大な功績があった方でも亡くなって、時が経つうちにだんだんと
忘れられていきます。その人たちの現役の時代が、華やかで偉大であるほど忘れ去られていくこと
のギャップが寂しくもあり、はかなさを感じます。
人の一生をかけて作り上げたものがフェードアウトして消え去るような気もします。
それでは人の一生とはどんな意味があるのか?
そして、人の幸せとは何であるのだろうか?
私なりに考えて、私自身が思うことは、人の一生、それはその人生の中で、どれだけ多くの人たちに
影響を与えることが出来たのであろうか?どれだけ多くの人を幸せに出来たのであろうか?
その人の人生での行為が、あたかもタンポポの種のように、風によって広がり、そしてその種から
育ったタンポポがまた次のタンポポを生み出し、広がっていく。また、受け継がれていく。
これは、子供や孫といった子孫の事ではなく、業績や思想、あるいは新商品といった物も含まれる
と思います。
人生で、一つでも多くの素晴らしい種を広げていきたい、これが私のテーマです。
/治山
おまけ:昔「金八先生」で言っていたセリフ。「文化とはフグを食べることである。」
これだけだと????だったが、意味を聞いてみると、昔ある好奇心の強い人がフグを
食べて、死んだ。でもその人は単に死んだのではなかった。
死ぬ前に一言言って死んだ。「目を食べたのが悪かったのかもしれない。」
次の人はそれも学んだ。そして次の人もフグを食べて死んだ。そして死ぬ前に一言言った。
「目も悪いが、俺は肝臓を食べた。」そして次の人は学んだ。これ(先人の知恵)を繰り返して
我々は今、フグを食べられるようになった。
人が命をかけて学んだことを我々が引き継ぎ、今がある。この数珠つなぎこそ文化なのだ
と。(たぶんこういった内容だったと思います。)
やはり金八先生は偉い!
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